2020.12.11/NEWS
【連載第1回】地域とともに生きるJヴィレッジ~震災10年。Jヴィレッジのこれまでとこれから~ 連載開始
【地域とともに生きるJヴィレッジ 連載第1回】
株式会社Jヴィレッジは、2021年3月に東日本大震災より10年目を迎えるにあたり、Jヴィレッジのこれまでの歩みとこれからの未来について4回にわたりお伝えしていきます。
第1回目は、震災直後からJヴィレッジ再始動までの経緯を当時の様子を振り返りながらお伝えします。
第1回『震災直後のJヴィレッジ。再開への歩み』
それは突然の出来事だった
2011年3月11日14時46分、Jヴィレッジはこれまで経験したことのない強い揺れに襲われた。
施設内にあるオフィスの棚から書類などが崩れ落ちてきて、スタッフも慌てて建物の外に避難した。
Jヴィレッジスタッフは、お客様の安全確保を最優先に考え、直ちに館内利用や宿泊されている方々の避難誘導に向かった。ホテルに隣接するフィットネスクラブで普段どおりに勤務していたトレーナーの西山は「地域の住民でもある会員の皆さんがフィットネスクラブをご利用されていました。プールをご利用の方は水着のまま慌てて外に出てきたため、とても寒そうに身体を震わせていましたので、タオルや毛布をかき集めるためにホテル内を走りまわりました。」
Jヴィレッジは海抜40mに位置しており、津波の影響はなく、ピッチに亀裂が入るなどの被害はあったが、建物に大きな被害は見られなかった。宿泊の方をはじめ、時間が経つにつれ近隣地域の方々もJヴィレッジに避難されてきたので、アリーナを避難所として開放した。
また、ホテルフロントに勤務していた後藤は言う。「夕方になっても余震は続き、薄暗くなってきた中、停電であったこともあり、ガスコンロなどを活用し、炊き出しの準備をして、避難されてきた方に温かい料理を提供させていただきました。」
この日は、翌日から始まる大規模なサッカー大会への参加選手や関係者の宿泊が予定されていて、多くの食材を調達していたため、避難されてきた方への食事が用意できたことが不幸中の幸いだった。
停電になったことで、テレビなどからの情報も入ってこない状況で、津波が来たことさえもほとんど知り得なかった。沿岸地域に住居のあるスタッフもおり、家族との連絡が取れて安否確認できたスタッフのみ避難所をサポートするために残り、それ以外は家族のもとに帰すことにした。
夜中に、人工芝6番ピッチにヘリコプターを着陸させたいが、停電で照明が使えないため、車のヘッドライトで照らしてほしいと自衛隊から要請があった。スタッフ数名が暗闇の中、各々の自家用車を移動した際に、車内のカーナビ画面のテレビに映る各地の悲惨な様子をみて、改めて事の重大さを知った。
翌日、早朝に地元の消防団よりいわき市への避難指示が発令され、Jヴィレッジスタッフ全員は避難されてきた住民の方々と一緒にJヴィレッジを後にした。
震災から数日後には、Jヴィレッジは原発事故収束の対応拠点として使用されることが決まり、営業休止を余儀なくされた。かつて、日本代表なども利用した天然芝の上には、多くの車が乗りあげられ、タイヤ痕で轍が出来てしまっていた。Jヴィレッジにとって、これまでの思い出が詰まった大切なピッチの上に車や鉄板がしかれた光景を目の当たりにして、Jヴィレッジはこのままどうなってしまうのか、スタッフは不安な日々を過ごしながらも、心のどこかではJヴィレッジの再開の日が来ることを疑っていなかった。
再開に向けての兆し
休業が長引くにつれ、多くの方はJヴィレッジが復活し再開することは難しいと思っていたはずだが、そんな中、転機が訪れたのは、2013年。オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定したことにより、Jヴィレッジの本来持つナショナルトレーニングセンターとしての機能を復活させようとする動きが関係者内で話し合われ、翌年2014年に福島県、日本サッカー協会、東京電力、Jヴィレッジが一体となって「Jヴィレッジ復興プロジェクト委員会」を発足し、Jヴィレッジの復興・再整備の計画を策定、発表した。
また、2014年6月頃には、震災以降、拠点をいわき市に移し、活動を継続してきた中学生のクラブチームの「Jヴィレッジスポーツクラブ(以下JヴィレッジSC)」の中で希望者を募り、保護者の同意を得た選手たちで、かつての練習場を見学したことがあった。JヴィレッジSCは2003年に設立され、全国大会にも出場したこともあるJヴィレッジ周辺の子供たちが通う街クラブである。
当時コーチであった明石は、「震災のあった年に卒業するはずであったJヴィレッジSCのキャプテンが行方不明のままであり、いまサッカーができることへの感謝の気持ちや大切さを伝えていくためにも、この機会は大変貴重であった。」と当時に思いを馳せる。
新生Jヴィレッジ
Jヴィレッジとしても再始動に向けた動きが活発化していくとともに、『新生Jヴィレッジ』の使命が明確になってきた。これまでの『サッカーの聖地』として、サッカー・スポーツ振興に貢献し、トップアスリートを育成する施設として復活するとともに、Jヴィレッジが再始動することで、交流人口の拡大を図り、福島県の復興を国内外に広く発信していく『ふくしま復興のシンボル』としての使命である。
連載第2回は、こちら
連載第3回は、こちら
連載最終回は、こちら
*今後の連載スケジュールと主な内容について
第2回 2021年1月11日(月) Jヴィレッジの設立から震災までの地域振興・スポーツ振興について
第3回 2021年2月11日(木) 再始動後から現在までのJヴィレッジの賑わいと新たな魅力について
第4回 2021年3月11日(木) これからのJヴィレッジについて